哲学的に…とも言えないほどで難しく

僕の周りって、といっても地域的と言うわけではないのですが、自分の交際関係において読書が好き、おもしろいなんて言うひとは結構と言うよりほとんどいないんですね

自分ばっかり「この本がさぁ」なんて言っても相手は面白がってくれないので出来るだけ控えるようにはしてますが、そうであると僕としてもあんまり毎日毎日おもしろいエピソードがあるわけでもなく、時折困りますね。

知的な女性とたくさん話をしてくれる人が僕のタイプなのもそのせいかも知れません。

 

 

とはまあ、さておき、僕は結構、哲学的で神経質できっと友達の印象よりわりにひねくれてます。

図書館や電車で―話し声ならいいんですが、げほげほと大きな声で咳き込んだりタンの絡まりを解こうとする人に、頭の中でうるせぇなぁと思ったり、あるいは図書券で周りをちらちらと行き来する人並みに結構気が向くタイプなんです。

正直言って、自分のそう言うところが自身で落ち度だと考えてしまうのですが、あるいは自分も受け入れなくては、あるいは叱咤して、あるいは気楽に…云々と考えて、答えは出ません。

ゆったりネコのお腹でもさわってるかのよつにリラックスして肩の力を抜くなくては。

 

人は常日頃どんな心境なのでしょう。今回の議題は―長々となりましたが、それです。

英語で言うならsensory memoryと言うやつですかね。絶えず移り変わる心や脳に現れる像や考え、言葉などなど主観的に変化しているものですね。閃きなんかはその最たるものです。

僕はけっこう哲学的に考えてしまいます。

というよりも、難しいものの考え方、と言う意味で、哲学的と著すには程遠いものですね。

例えば、世界や自分はなんで生まれたのか。なんて考えたことのない人なんてきっとこの世にはいないでしょう。大概の人は考えたことがあるはずです。楽観的な人なら「ま、いっか」なんて忘れたり、そうでもなくても概ね実家の部屋の引きだしの奥の奥の方にしまって、本の時折にしかそれを再現することはありません。少なくとも、このインターネットや電子電気技術が日本の末端まで届いた現代の日本では。でも、僕の心の特異性は、そうした思考にブックマークするところなんですね。しゅっちゅう、頼んでないのに引き出されます。突拍子な時もあれば、ちゃんと手順を踏んで出される時もあります。人に引き出されるってことは悲しくもないですが。逆にそれは―あるいはモンテーニュのように塔で孤独のうちに、稲妻のごとき閃きをえる可能性は0ではないしも、思考を深める有効な叙述的手段を手にしないと言うことですから、僕としては非常に残念ですね。

あるいはモンテーニュの言うように、「柔軟な精神」をもって、「ク・セ・ジュ」といって過ごせばいいのでしょうか。もはやモンテーニュはある意味真理を解く困難さを人々に説いた訳ですから僕のこの難しいものの考え方の持ちようの在り方のある種の答えは彼の中にありそうですね。

 

でも、僕の心はやっぱりそう言うのを引っ張ってくるんですね。しっかりと手綱で。

あるいは、何か脳の一部やら受容細胞やら色素、酵素、体内のあるゆる成分の溶けた液体の入った容れ物が僕の中では常に中火で温められているのかもしれません。そこに沈殿した色の無い塊が熱によって融解し、水が織り、立てる振動によってぐちゃぐちゃにかき混ざったどろどろした液体物から沸いた蒸気が僕の体全身を駆け巡って、脳に達した時、僕の思考は単純には行かなくなるみたいです。上手く伝えられないのですが、そんな感じなんです。確かに僕の「まあいっか」みたいな楽観的な思想をその気体、あるいはそれが冷えかたまって昇華したものがそれに取り付いて蓋をして、ガムのような粘性を持ってて簡単に取れません。

 

例えばサラダを考えます。

キュウリやキャベツやピクルス、トマト、ドレッシング。どこかの誰か―僕の場合特におじいちゃんを浮かべるのですが、育てて収穫して、その一つ1つに歴史や経歴があって、同じ人間で、でも心や感性やら、そもそも僕といるかもわからないキュウリを作るおじいちゃんと僕が人間であって同一でないことがあるのかとそれすらに不思議を感じて、人間とは…云々と。真理とは何なんでしょう。

そして僕とは。意味論で世界を片付けられないですね。

だから僕は常に何か予定を、忙しさを求めて、目的論的な世界に生きようと、生きたいと思ってます。

でないと掴むことのできない、哲学的な要素を含む、せかいが内包する色の無い塊が溶けて昇華した霧が僕の周りを包んで…

もう頭がこんがらがって来ますね。

きっともし仮に読んでいる人が居てくれても意味わからないですね💦

僕はけっこう孤独な人間です。母親に小学校の頃から―僕はただ普通に、今のような状態でなく生きていたつもりでしたが―「君が一体何を考えているのか。ちっともわからない。どう接していいのかわからない。」と言われました。何かの拍子で口喧嘩したときだったと思いますが、何で口論になったのかは忘れました。きっとどうでもいい意見の差異から始まって話がそれたからだと思います。

 

あぁ~。村上春樹的に知的な人に出会いたい。そして僕の思考を整理して、理解して、単なる空間を安らぎへと変質させてほしい。「多崎つくると巡礼の年」に出てくるMr.グレー。求むるはまさにそんな人。断りなしに消えられるのは困るけどね。